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November 2003

November 01, 2003

11月の日記

2003年11月の日記
■2003/11/27 (木) 過去

きょうは
結構寒いです。
風邪だけは
ひかないように
気をつけています。
勉強の前に
体調管理は
基本中の基本。

仕事をしている時に
体こそ資本だということを
嫌と言うほど
知らされました。
ま、それだけだと
ほんとに
つまんないんだけどね。

この時期って
「最後にして最大のチャンス」
らしい来年の試験に向けて
本格的に
走り出したって感じです。

受験生だったら
普通はほとんど
毎日勉強しています。

当然5月と今の学力は
全然違うでしょう。
7月と今の学力も
全然違うはずです。

今年の試験が
どうだったかななんて
もう終わったことです。

言ってしまえば
先週の答練の成績が
どうだったかなんてのも
終わったこと。

ご丁寧な範囲指定に合わせて
基本書とか読み込んだりして
試験に臨んでいい点とったって
それは先週のこと。
すでに過ぎてしまったことです。

受ける側からすれば
来年の5月と7月と10月に
それぞれのピークを
作ればいいわけで、
毎週毎週の答練の成績に
振り回されたり、
今年の試験結果が
どうだったかななんて
全然関係ないはずです。

もちろん自分の力の
分析っていうのは
必要です。
本試験の結果って
いうのもとっても
参考になる部分て
あるんでしょう。

だけどそれは
7月の試験じゃない。
もう4ヶ月過ぎている。
択一だったら
もう半年過ぎている。

どちらも
過去の一時点の
ことだ。

良かった科目も
悪かった科目も。

いくら良かった科目だって
来年良い点とれる保証なんて
なんもない。

それを
いつまでも
ぐちゃぐちゃ
ひきずったって
しょうがない。

そういう評価は
何を与えてくれるのだろうか?

もう来年の試験に
向けて
とっくに
はじまってんだよ。

いつまでも
過去の中途半端な栄光に
しがみついて
楽しいのか?

そういう人に多いんだろう。
学歴マニアとか。

別に今年
択一受けていなくたって
択一落ちていたって
論文落ちていたって
結局
来年の試験で
結果出せるかどうか。

答練で27点もらうとか
今年の試験でどうだったかとか
そういうことじゃなくて
来年の本試験で
合格するかどうかって
ことじゃないか?

馬みたいに
目の前のニンジンに
とらわれずに
そういうとこ
シビアにいきたいですね。

■2003/11/26 (水) 中途半端

私は
中途半端が
大嫌いです。

以前
「カフェでちょろっと
 勉強して
 1回合格はないでしょ」
って書いていたことが
ありましたが、
それも
そのやり方が
中途半端だから
嫌なのです。

何でもそうだけど
中途半端な状態って
すごくつまらないと
思いませんか?

中途半端に
働いて
中途半端に
遊んで
中途半端な
幸せを味わって。

そんな人生って
全体的に
中途半端だと思いませんか?

何でもそうだけど
やる時には
徹底して
やらないと
その大変さや
面白さって
わかりません。

どの世界でも
中途半端にやって
結果を残せるような
そんな甘い世界は
ありません。

やるからには
徹底して
やらないと
きちんとした
結果は
残せないんです。

別に周りから
薄っぺらい評価を
もらうことは
もちろんできます。

表面的にとりつくろって
「私は仕事ができる」
と思わせることも簡単です。

意外と世間や人の目
なんてふし穴です。

でも
そんなんじゃ
自分が楽しくないだろ?

中途半端にやって
中途半端な給料もらって
中途半端な役職もらったって。

自分が楽しくて
時間を忘れてできるような
仕事じゃないと
時間を費やすのって
意味ないことだと
思います。

で、受験勉強も
全く同じじゃないかって
考えています。

受験勉強って
次に向けた
準備期間だとか
自分を鍛える期間だとか
よくとらえられますよね。

中には「戦い」などと
大げさにとらえる人もいますが、
それはないだろ。
いくら勉強しても
死ぬ人はいない。
戦争ってもっと
シビアなものじゃないか?

ま、そんなずれた見方は
おいておくとして
受験勉強が準備期間だとは
私は思いません。

受験勉強をしている時でも
確実に時は過ぎています。
もちろん年をとっていきます。

だから
受験勉強だって
受かるにしても落ちるにしても
人生の一部です。

勉強を中途半端にしか
出来ない人は
他のことだって
中途半端にしかできないだろうし。

受験勉強を
楽しめない人は
仕事だって
きっと楽しめないと思います。

絶対仕事の方が
受験勉強なんかより
大変なのだから。

結局
自分が楽しくなく
中途半端にしかできないことは
やるべきじゃないなって
思っています。

楽しくないことをやっているほど
人生って長くないんじゃない?

■2003/11/25 (火) 出題意図

法務省のHPに
今年の論文の出題意図と
口述のテーマが出ていましたね。

これ、
とっても
大事な情報だと思いません?

論文の出題意図は
去年から
発表されているんだけど、
「もっと前から
 発表しろよ」って感じです。

で、中身を見ると
結構論理的な一貫性とか
そういうところが
重くかかれていたり
するんですよね。

基本的な知識は
当然として。

論文の勉強をしていると
あらぬ方向に
歩きがちになりそうだけど、
結構この出題意図を
頭において
やるのは
重要じゃないかなと
思っています。

どんなに自分で
良い答案仕上げたつもりでも
出題意図とずれてたら
ダメだし。

「何が求められているか」って
司法試験に
限らずとっても
重要です。

人付き合いでもそうだし、
会社の面接試験だって
結局は同じこと。

社会を生きていくには
それがわからないと
とんでもなく
大変です。

独りよがりや
予備校よがりの勉強してても
それが
求められる力と
食い違っちゃ
結果は出ないん。

予備校に振り回されずに
ちゃんと
自分で考えて
やらないといけないですね。

■2003/11/24 (月) ことば

「大変ね~」って
言われることって
多くありませんか?
受験生という生き物は。

私も
社会人時代には
あまり聞かなかった
この言葉を
受験勉強を始めてから
よく聞くように
なりました。

たぶん
私の場合は
「勉強が大変ね」という
意味以外にも
「収入がなくなって
大変ねえ」って
言う意味も
あるのでしょうが。

余計なお世話です。

「大変さ」についてなんですが、
体力的には
仕事をしていた時の方が
全然辛かったです。

仕事が深夜や
早朝にわたるため
睡眠時間も短く、
たまの休日に
ゆっくり寝ていたら
携帯が鳴って
「すぐ出てきて」
なんて
こともしばしばでした。

ひどい時には
夜中の2時とか
3時とか。

勘弁して欲しかった。

そういった
不規則な生活を
7年過ごしてきたため、
今は生活的には
とっても
「大変」じゃありません。

そもそも
29にもなって
勉強を苦痛だとか
考えているんだったら
受験勉強なんて
始めません。

世の中には
そんな脳みそを
使わなくても
食べていくのに
十分なお金を
稼ぐ方法は
たくさんありますから。

そういった意味で
去年の今頃と
比べると
ストレスはほぼゼロに近く、
睡眠時間も
自分で管理できる点で
今の暮らしの方が
全然大変じゃありません。

同じように
よくかけられる言葉に
「すごいね~」って
言う言葉もありませんか?

でも別に
1次試験も含めて
受けるだけなら
誰でも出来るわけだし。

何がすごいのか
さっぱりわかりません。

うかってからなら
わかるけど。

結局
「司法試験の勉強しています」って
言われて
かける言葉がないから
単なる社交辞令なんだよ。

「大変ね~」も
「すごいね~」も。

でもそういう言葉で
聞く人によっては
「私ってすごくて大変なんだ」と
勘違いするから
そっちの方が
大変かもしれない。

世の中で
受験勉強だけが
大変なことじゃないだろう。

ただ
自分がやりたいから
やっているだけじゃない。

淡々とやりたいものですね。

■2003/11/23 (日) 我慢と不満

受験生の時って
ある程度
我慢が必要ですよね。

でもね、
仕事をしている時も
感じてましたが、
今の生活に
ぶーぶー不満いっている人って
どうかんがえているんでしょうね。

何かが変われば
不満のない暮らしが
得られるのでしょうか?

何かが得られれば
人生とっても
楽しくなるのでしょうか?

そんなにかわんないだろ。

自分を追いつめても
自分を甘やかしても
どちらの方法でも
時間は過ぎていくし、
年をとっていきます。

不満をためて生きても
不満をためずに生きても
同じように
時は過ぎていきます。

どちらを選ぶかは
自分次第。

自分の人生なんだから
他の誰にも
口出しされることないし、
自由に生きれるはずです。

自由に生きれないのは
勝手に自分がいろいろ考えて
自分をしばりつける
からじゃないか?

別に受験生の時期って
なんでもかんでも
我慢我慢でやるのって
どうかなって
思っています。

どんな悲壮な決意で
勉強しようとも
どんなに楽しんで
勉強しようとも
結果が出れば
オッケーなんだから。
所詮はたかが試験。

たかが試験のために
自分の人生を
ゆがめたり
くずしたりは
したくありません。

仮にそれで
合格しても
失うものが
多すぎます。

人にとって
とってもすごいことでも
自分にとって
大事なものを
失ってしまっては
意味がありません。

だから
ただただ
勉強して
自分を鍛えれば良いって言うのは
あんまし好きじゃありません。

そういう風に
生きても
その後の人生って
楽しくなるんでしょうか?

動物じゃあるまいし、
ただただ鍛えれば良いって
すっごく安直です。

仮に試験に受かっても
そんな人生って
絶対嫌なんですが。

何を楽しみに生きてくのか?

自分にハードルを
次々に設定して
ただただ飛び越えること?
それを
周りの人に
「すごい」って
褒められること?

そんな人も
いつかは
ハードルにひっかかって
死んでいくんだろうね。
「まだ飛ばなきゃ」って
つぶやきながら。

楽しむこともなく
ただただ
ハードル跳び続けて。

いつかは
NO1になるなんて
思いながら、
現状の自分に
決して満足することなく。

そんな人生って
世間的には
ご立派な人生なんだろうけど
とっても悲しい人生じゃないか?

■2003/11/22 (土) またも3連休

今年はほんとに
3連休多いですね。
すっかりいい天気だし。

別に専業なんだから
毎日が休みといえば休みなんだけど、
社会人生活で
染みついた感覚から
ほんとにどっか
遊びに行きたいと思います。

ラジオとかでは
高速の下り線の
渋滞が20キロとか言っているし。

流されるのは簡単だけど、
どうせ自己嫌悪に陥るのは
わかっちゃっているので、
頑張ります。

頑張れるのも
あんましないことだし。

書いていることから
わかると思うけど、
私は論文と択一と
ともに同じぐらいのバランスで
やっています。

普通はこの時期って
下三法を固めるって
時期で
答練とかに力入れちゃう
時期なんだろうが、
さすがに初受験組にとって
択一はそれなりに
力を入れないといけませんからね。

一度、もしくは何度も
択一受かっている人なら
違うんだろうけど、
初受験組にとっては
択一ってそれなりに
対策しないとダメなわけで。

択一で終わると
5月でゲームオーバー。
論文まで進めば
10月までは
不安定な身分を楽しめます。

この差って結構大きいと
思います。

かといって
下3法も手を
抜いているわけじゃありません。

もう何度も全体を繰り返しているし、
来年3月までは今のペースで
択一と論文とともに
かっちり固めていきたいです。

高校生時代以来の
受験勉強なので
それなりに楽しまないと
もったいないですからね。

その意味では
生ぬるくない
司法試験というのは
とっても良い
ターゲットなわけで。

社会人時代は
頭を使う必要がほとんどなく、
ただひたすら「作業」を
強いられていたのとは違って、
自分で主体的に取り組みのは
ほんとうに
楽しいものです。

自分ができそうだと
思うことをやっても
人間は成長しない。

少し無理っぽいって
ものを求めている時の方が
全然生き甲斐があると
思う。

「まあいいや」って
妥協するのはとっても簡単だけど、
どっかで
「まだやりたい」って
思いを残すと
結局どこかでむなしさが
残ってしまう。

そういう思いって
20代のこれまでで
味わい続けきました。

やっぱりね
妥協すると妥協したなりの
ものしか手に入らないのよ。
ごまかしきれないんだよ。

シビアに結果だけを求めて
頑張ります。

■2003/11/21 (金) ロー

きょう
法科大学院の
認可が下りたみたいですね。
某塾と業務提携の
大学は
認可が下りなかったみたいで。

なんでそんなに
予備校嫌がるんだろうね。

自分たちが
ちゃんとした
「指導」できないから
目障りなんだろうね。

自分たちが
ちゃんと司法試験に
対応できる授業できないから
文句ばっか言っているんだろうね。

ちゃんと自分たちの授業で受かる
ってこと見せてから
文句言えばいいのにと。

無能で自分に自信がない人ほど
よく吠えるものです。
犬と一緒。

私は
ローには全く興味が
ありません。

今までの貯金で
ローに行くお金はあります。
何年か社会人をやれば
それぐらいは
たまるものです。

でも、
つまんないんです。
ローじゃ。

まず
2年も3年も
だらだら授業聞くのが
つまらない。

たとえ
実務家も教えるって
言っても
どうせ
なんか社会性のない
自閉症かつ神経症みたいな
学者のつまんない話聞くのが
大半だろ?

それに
新司法試験って
合格率が50%とか
言われているけど、
そんな試験なんてつまらない。
自動車免許の
学科試験じゃないんだからさ。

来年から行く人って
過去問ない状態で
新司法試験に臨むんだろ?

試験勉強としては
過去問ないと
やりがいないですよね。

どんな問題出るかわからないなんて
高校の期末試験じゃないんだから
辞めて欲しいです。

結局今の自分としては
目指す価値が何にもないんだよ。

もともと
司法試験受けようと思った動機って
どうしても法曹の世界に入りたいって
わけじゃないから。

そういった意味では
現行の試験は
ほんとに楽しみがあります。

なんでもそうだけど、
自分がぎりぎりのとこまで
頑張るから
楽しいわけだろ?

なんか
生ぬるいローの入学試験と
生ぬるい授業と
半分ぐらいがうかる
生ぬるい新司法試験と
どれも
全然ダメダメですね。

ああいう審議会って
一人一人は賢いんだろうけど
集まるとダメですね。
烏合の衆。

町内会じゃないんだから
ちゃんとして欲しい。

まあ自分たちは直接かかわらないから
いいんでしょうね。

いい加減な人たち。
所詮そんなものです。

一度走り始めたからって
失策を続けないでよって感じなんだけど。
まあいろいろあるんでしょうね。
利権とか。

ばかばかしい。

■2003/11/20 (木) あおり

結構雨が降っています。

木曜は択一と商法。
刑法と商法っていう
組み合わせがなんだか
異質でいいですね。

私は
範囲指定がなくなる
年明けの答練・模試から
どんどん受けようと
思っているのですが、
どんなものか
ちょっと楽しみでもあります。

ファーストコンタクトって
結構大事ですからね。

来年の択一とか
なんか超激戦って
感じなんでしょうね。

予備校とかが
あおっていますからね。
「チャンスはあと2回」と。

たぶん来年ぐらいから
予備校は司法試験の講座とか
縮小傾向になるんでしょうね。

でも
2006年の合格者だって
逆に言うと
500人から600人は
確保されるわけだろ?

昔は
その合格者の数で
やっていたわけじゃん
予備校って。

なのに
チャンスはあと2回って
自分たちであおって
どうするんだろうね。

入学試験と
新司法試験とで
1人で2度おいしい
ローの方に
どの予備校も
力の重点移していく
感じですからね。

どこか一つぐらい
「現行試験受験生を
 応援します」って
姿勢があってもいいと
思うんだけど。

ポリシーのない
金儲け目当ての
私企業でしかないんです。
所詮教育産業なんて。

だから受験生のことなんて
考えずに
「現行司法試験最後の稼ぎ時」
としか思っていないんでしょうね。

でも
こんだけあおられると
受験生も必死だから
来年の択一とか論文とか
すごそうですね。

なんだか
総力戦って感じで。

結構この感じ
好きです。

やっている方も
その方がやりがいあるし。

たぶん来年ダメなら
ローに行くっていう人
多いだろうから
来年が最高に
盛り上がりそうですね。

そういうのって
プレッシャーに感じても
仕方ないので
楽しむようにしています。

たとえ
受験生が10万人いても
自分の力でしょ。結局。

変に試験を
相対視しても
しょうがないと思うんだけど。

受かるためには
自分の力を伸ばすしかないって
ただただ
シンプルなこと。

あんまり
いろんなことを考えず
ただただ来年の本試験の
ことだけを考えて、
淡々と
やりたいものですね。

■2003/11/19 (水) 同情

水曜日は
例によって刑法の日。

大学の時の
総論の教授が
結果無価値の
人だったんだけど、
あの頃は
「無価値」の意味も
よくわかっていなかったな
とふと思い出しました。

ところで、
受験生にとっては
こと勉強に関しては
毎日淡々とやることが
結構大事だったりもしますよね。

いちいち
いろんなこと考えて、
妙に焦ったりすると
勉強に差し支えます。

人って不思議なもので、
仕事みたいな
ものだと決して
焦って
仕事が手に付かなく
なったりすることは
ありません。

ちゃんと仕事は
やるはずです。

結局いろいろ
考えちゃうのって
無駄なんだよ。

なんか
全世界の不幸を
自分一人で
背負ったように
考えても
何にも生まれません。

誰だって
いろんなものを
背負って生きています。

それを
あたかも自分一人だけが
「恵まれない環境で
 頑張っている」って
思うのって
結局自分に同情している
だけじゃん
って思います。

自分に同情して
何が変わるのでしょう?

人をうらやんで
何が変わるのでしょう?

自分はこんなに
大変なんだと
ことさら
人に語る人に限って
周りの人への
配慮が欠ける
人が多いですよね。

自分はこんなに
大変なのに
周りはわかってくれない
みたいな感じで。

いつまで
自分だけが不幸って
考え続けるんだろう?

ある意味とっても
傲慢な考えだ。

司法試験の世界でも
そういうのって
とっても多いですよね。

社会人なのに合格とか
主婦なのに合格とか
合格者のいない大学なのに合格とか
法学部じゃないのに合格とか
生活が苦しいのに合格とか。

そういうのって
別にことさら
強調しなくて
良いんじゃない?
って思うんだけど。

合格者の多い
法学部の現役の
お金持ちの子の学生だって
ちゃんと
頑張ったから
合格したわけだ。

ある意味
客観的な試験なわけだからさ。

少なくとも
受験生が
そういうこと
ぶちぶち言っても
何だかねーって
感じです。

自分の選択だろ?

仕事続けながらやるにしても
専業で受験勉強するにしても。

自分で選択した
やり方なのに
社会人だと時間がないとか
専業だとお金がないとかって
ことさら嘆くのって
どうなんだろうね。

自分に同情ばかりしてないで
自分の選択にきちんと
責任持てばという
感じなのだが。

■2003/11/18 (火) 選択

火曜日です。
民法の日でした。
お互いの主張を考えてって
感じで、
利益衡量って
大事です。

さて、
なんだか私の日記
書いている内容は
仕事に対してネガティブにさせる
感じなんですが、
仕事にも仕事なりの
たのしさはもちろん
ありますよ。

確かに
自分の時間は圧倒的に
減ります。
だいたい
20代から30代までは
どんな仕事でも
馬車馬のように
働かされるでしょう。

生活のほとんどは
仕事をベースに作られ、
そういった意味での
自由度は
とっても下がります。

よく弁護士は
忙しくて大変だって
言われていますけど、
それはどの仕事でも
同じです。

別に弁護士だけが
休日出勤しているわけじゃないし、
夜遅く残業しているわけじゃありません。

他の仕事をバカにしすぎです。
他の仕事だって大変です。

そんな風に
自分の時間は
下がりますが、
自分の楽しめる仕事なら
逆に何時間やっていても
楽しいもので、
また
違った喜びも
味わえるというものです。

所詮は
仕事ってお金を稼ぐ
手段でしかないわけで、
じゃあその仕事を
どうやって
楽しむかって
そこが結構
重要だったりもする。

世間がいくら
立派だとか評価する仕事でも
自分が楽しくなければ、
ずーーっとやっていると
本当に嫌になります。

意外と単純なものです。
「自分がやりたいか、やりたくないか」
ただそれだけです。

そういった意味では
ローって残酷な制度です。

2年か3年か
みっちりと
法律だけの世界に
浸すんですから。

法曹の道に進みたいと
思い続ける人は
それでいいんでしょうけど、
仮に
「やっぱ合わない」って
思った人ってどうするんでしょう?

今の日本の社会は
まだまだ大学院卒、
特に文系の大学院卒には
結構厳しいです。

いくら一般に評価されている
大学でも
大学院卒となると
結構厳しかったりもするよ。

そうすると
嫌々弁護士になったりする人も
出てくるんだろうね。

「私本当は会社員に
なりたかったのに」っていう
弁護士がいっぱい
増えるかもしれない。

司法試験だったら
まだ自分で期間区切れるから
いいと思うが。

なんでもそうだけど
自由度を奪う制度って
あんまし良くないですね。

今みたいに
いろんなスタイルで
望めるのが
司法試験の良いところなのだが。

2003年11月の日記
■2003/11/17 (月) 季節

冬ですね。
北風がとっても寒くて。
夕方ちょっと散歩したら
あまりに寒いんで
すぐ帰りました。

学生の頃って
この時期は
まっぷたつでしたね。

つきあっている人がいる時は
毎日楽しくて
クリスマスとか
年越しとか
どうやって楽しく過ごすか
ばっかり考えて。

街のイルミネーションとか
ラジオから流れる
クリスマスソングとかが
雰囲気盛り上げちゃって
もう止まらないって感じで。

一方で、
一人の時は
北風が身にしみてましたね。
なんだか
日が沈むのが早くて
寂しさだけが
どんどん押し寄せて。
無理に友達と騒いで
寂しさまぎらわしたり。

どっちも良い思い出だ。

そういう風に
なんか情緒的に生きるって
とっても大事なことだと思うのだが。

でも
社会人になってからは
意識していないと
そんな思いは抱かなくなった。

会社の論理で
頭と心が支配され
ただただ
仕事をこなすだけが
自分のやることみたいに
思って。

やればやるほど
手が抜けなくなるから
どんどん
自分の時間が減っていって。

でもやっていることって
もう気持ちが離れた
仕事だったりして。

何も感じずに
ただ毎日が
そして1年が
過ぎていって。

どんどん自分が
自分じゃなくなっていく
感じがしてましたね。

まあ、
楽しむことを忘れた
「大人」の人は
そういうことあんまし
考えないんだろうが。

ちょうど去年の今頃、
なんだかいろいろ
考えている頃で、
久々の
ふるさと東京での
クリスマスだったのに
仕事に追われてて、
なんだか
この時期の
イルミネーションも
霞んで見えてました。

そんな自分に気づいて
ちょっと人生変えなきゃな
って思った頃でした。

「昔の自分」の方が
「今の自分」より
よく思えちゃたりしていたんだよね。

昔の方が楽しかったなんて
思ってたりしてたんだよね。

これって
なんか違うんだよ。
もっとやりたいように
やればいいやって。

そんなことを
考えていました。

今年も今年で
勉強あるから
ぷらぷらできませんが。

受験生って暮らしも
自分で決めたことだし
いいかなって感じです。

久々に季節を感じてます。

過去問と一緒に
過ごすクリスマスもいいだろ。

間違っても
「来年も一緒だよ」
なんて
甘い言葉は
かけたくないが。

■2003/11/16 (日) のんびり

きょうは日曜日。
私は基本的に
土曜まで毎日
憲法から刑訴までやって、
日曜日は
その週に
できなかったことを
やるようにしています。

今週は比較的
順調に進んだので、
きょうは
ちょっといい加減かなと思った
択一用の親族・相続の
知識をたたき込んだ以外は
のんびりしていました。

きょうの東京は
とっても暖かく
気持ちが良かったです。

冷たい雨の降る
日曜日は
あまり好きじゃありませんから。

「専業受験生」にとっては
いかに休みをとるかって
結構重要な問題ですよ。

単純作業をしているわけではないので、
「きょうはOO時間やった」って
ただただ積み上げても
それはそれで
意味ないし。

バイトじゃないんだよ、
勉強って。

時間を稼ぐことが
目的じゃないから。

時間に応じて
給料もらえるみたいに
能力が伸びるんだったら
どんなに楽でしょう。

そんなに単純なことなら
睡眠時間をいくら
削ってでも
やりますけど。

勘違いすると
深みにはまりそうだ。

走り続けているけど、
ゴールはどこですか?って
感じだ。

適度にいい状態で
勉強できるようにしないと
ほんとに
ただ勉強やっているだけって
なりかねないからなー。

こういうところも
なかなか仕事をしていては
味わえない楽しさですね。

ただただ
司法試験の学力って意味で
自分を鍛え上げるのですから、
くだらない会社や組織の論理に
縛られることもありませんし。

経験だけで偉そうに
ものを語る
わけのわからない
無能な上司や先輩も
いませんし。

そんな上司や先輩に
愛想笑いをする必要も
ありませんし。

収入と身分は保証されても
先が見えない真っ暗な毎日を
ただただ日が過ぎるのを
待つ必要もありません。

たぶんこんな
楽しい機会は
当分ないので
とことんまで
楽しんでやろうと
思っています。

■2003/11/15 (土) 他人

土曜は刑訴の日です。
淡々とやっています。

私には周りに
知り合いの受験生がいません。

ほとんどの友達が
仕事しているか
母をしているかの
いずれかです。

普通は
ライバルとか
友達とかいた方が
良いのかもしれません。

でも私の場合は
司法試験を受けようとしたのが
きのう書いたような
動機だったので、
むしろ良かったかなって
思っています。

司法試験の話は
自分の中だけで
完結してくれた方が
いいかなと。

自分が勉強して
自分が結果を出すか
どうかって
ただそれだけの話だから。

きわめて単純。

「他の人が頑張っているから
自分も頑張ろう」っていうんじゃ、
今までと何にも変わらないんだよね。

「自分がやりたいか、やりたくないか。」
「自分が納得できるのか、できないのか。」
「自分が結果をだすのか、ださないのか。」

ただそれだけなんだよ。
私にとっての司法試験って。

ま、だから
真剣にやるんだけどね。

簡単にクリアできるものだったら
自分を変えるきっかけには
ならないし。

そんなところで自分を
ごまかしても
何にも変わらないんだよね。

そんな意味では
全く知り合いの
受験生がいない状況っていうのは
願ってもない環境です。

人と比較しても
仕方ないし。

他人が受かろうが
落ちようがそれは
私にとっては
所詮他人事。

来年の本試験で
自分が結果を出せるかどうか。
ただそれだけ。

物事って
そうやってシンプルに
考えた方が
良いと思うんだが。

人にとらわれると
いろんなところで
疲れるよ。

いつまで
何を比較するのかなって
感じで。

人と比べて
自分を卑下したり、
他人を見下したりって
ばかばかしいと思いませんか?

自分の人生なんだからさ。
自分が納得して満足できれば
それでいいじゃん。

自分にシビアな
割り切りって
とっても
大事ですね。

司法試験だけでなく、
何事においてもね。

■2003/11/14 (金) なぜ?

もう11月も半ば。
もっと時間が欲しい。

勉強初めてすぐの頃って
知らないことばかりだから
勉強が順調に進んでいるように
感じていました。

なるべく早く全体を見ようと
半年でLECの基幹講座を
聞きました。

論文や択一の過去問を
見た上で、
サンドイッチ的に
仕上げに入門をざっと
聞き直しておしまい。

でも、
こっからが大変です。

ま、とりあえず
焦ってもしょうがないので
毎週淡々とやっています。

以前、
この日記を見てくださる方から
「どうして司法試験なんですか」と
メールをいただいたことがあります。

私自身、
司法試験なんて
去年の今頃まで
考えたこともありませんでした。

大学生の時も
法学部で
周りが勉強しているのに
全く影響を受けず、
遊びほうけていました。

人はいろんな生き方があります。

別に
司法試験に通らなくたって
収入と社会的地位を
手に入れることだって
もちろんできます。

司法試験に受からなくたって
幸せな人生は
もちろん送れます。

合格することだけが
人生で前に進むことじゃ
ありません。

たとえ合格したからって
バラ色の人生が
待っているわけじゃありません。

毎日毎日1日中勉強してると
いろんなことが見えなくなりますが、
当たり前のことですよね。

それを前提にして
「どうして司法試験なんですか」という
ことなんですが、
私自身別に
社会正義を実現したいとか
弱者を助けたいなんて思いは
正直ありません。

じゃあ
社会的地位とか
収入面が魅力かと言えば
別にそんなこともありません。

他にも高収入を手に入れる道は
たっくさんありますから。
敢えて司法試験を目指す
積極的な動機には
なりえませんでした。

会社を辞めるときには
「昔から法曹の道を
 進みたかった」などと
適当なことを言っていましたが、
正直そんな思いはありません。

別に法曹の道じゃなくても
いいんです。

大学を出てから、
会社にしばられ、
受け身の暮らしが
続いていました。

来週の予定も全くたたず、
自分で主体的に
人生を楽しむことが
難しい状況でした。

そんな面白くない
人生を変えるための
第一歩が
私にとっての
司法試験です。

自分が考え、
自分が取り組み、
自分が進んでいく
そんな人生の第一歩が
私にとっての
司法試験。

■2003/11/13 (木) 潮時

きょうは北風が
とっても冷たいです。

さて
司法試験に限らず
なんでもタイミングってありますよね。

人付き合いもそう。
昔すごく好きだった人と
後に会っても
なんだか心が騒がない。
昔から嫌いだったところばかりが
印象として強調され、
愛想笑いだけが増えていく。
時の経過の重さが
なんだか寂しい気分にさせる。
そんなことってないか?

司法試験の勉強も
それと似ているかなと
思ったりもする。

今は楽しくて1日中やっている
勉強だけど、
そのうち嫌いになるかもしれません。

私は
勉強が嫌いになったら
司法試験は
辞めようと思っています。

しがみついても
物事が良い方向に行くとも
思わないし。

たとえ歯を食いしばって
やって受かっても
その後も
歯を食いしばりたくは
ありませんし。

無理をして
自分に合わない仕事をすることほど
自分を消耗することありませんから。

幸いまだ嫌いになっていないので、
続けているけど。
試験も受けていないのに
嫌いになってちゃ
しょうがないですもんね。

たぶんこの勉強も
今しかできないことだから、
とりあえず
全力でやろうかなと。

中途半端にやって
後で後悔するのは
絶対に嫌だし、
社会人の時みたいに
何にもない
1年を過ごすのも
絶対に嫌だ。

後で思い出して
記憶に残らないよな
1年ってほんとに
嫌だ。

今年の合格発表で、
「平均受験期間 5.75年
 【前年度 5.49年】」
なんて数字があったけど、
みなさんそれぞれ
記憶に残る年月を
過ごされたんだと思います。
勉強期間じゃなくて
受験期間だからね。

中途半端な妥協をせずに
なしとげた年月なんでしょう。

私も
自分なりに満足できて
楽しめるよう
日々を過ごしたいものです。

自分の人生なんだから
人の評価とかって
あんまし関係ないし。

だいたい
自分の人生なんだから
自分が評価すればいいと思うのだが。

よくあることだけど、
他人が人のことを
上っ面だけで、
評価するのは嫌いだ。

どこどこの大学出てるから立派。
どこどこの会社勤めているから立派。

ばかじゃないのか?
そういうことでしか人を見れない
お前が一番立派なのか?

こういう
くだらない人間にだけは
絶対になりたくないですね。

関係ない。

でも多い。

■2003/11/12 (水) まわりみち3

朝は結構寒いです。
この時期は毎年なんだか
あっという間。
気づくと年が明けている
感じです。

淡々とでも
着実に勉強進めないと
いけませんね。

仕事をしていると
毎日が本当に
あっという間に
過ぎていきます。

与えられた仕事。
自分のやりたい仕事。

それまでの慣れと経験で
たいていのことは
片づいてしまったりもします。

ある意味単純作業の
繰り返し。

経験というのは
人を成長させる面もある一方で
人の成長を止める面もあります。

会社での経験に従っておけば
そんなにおかしなことは
やりません。

年功序列というシステムは
まさに経験至上主義です。

いかに頭を使って
他の人が出来ない仕事をするかでなく、
いかにその会社でのルールを
身につけるかで
出世が決まっていきます。

ちっぽけな世界の
ちっぽけなルール。

そのために
人は休みを削り、
睡眠時間を削ります。

ちょうど
20代後半っていうのは
微妙なバランスの年齢です。

ある程度会社での
経験を積むことで
それなりの
スキルが身に付きます。

会社での経験をいかすことで
それなりの仕事が出来るように
なります。

無我夢中だった
新人時代と比べ、
自分が成長したと
ちょっと思える年齢です。

一方で
自分を成長させずに
経験によりかかって生きることも
出来るようになる年齢です。

ちっぽけな会社のルールを
自分より若い社員に
したり顔をして押しつけ、
「最近の若い人は
 わかっていない」などと
オヤジみたいなことを
言い始めます。

非常に危険な年齢です。

枠にはまり成長を止めた自分を
受け入れるのか、
それともさらなる成長を目指すのか。

後者の道は非常に
危険でもあります。

それまで築いたものを
ある程度捨てないといけません。

他の組織では通用しない
「流儀」だったり
「振る舞い」だったり
「地位」だったり。

でも、
そんなものって本当に
あなたにとって
必要なものなのでしょうか?

本当にそれを守ることって
幸せなんでしょうか?

意外と
いらないものかもしれませんね。

自分がやりたいことを
やるためなら
「まわりみち」しても
悪くないと思うんだが。

定年まで何も
自分のことを見つめずに
ひたすら同じ道を
走り続けるなんて
もったいないと思わないか?

■2003/11/11 (火) まわりみち2

やっぱし寒いです。
こたつに入って
勉強しています。
でもずっと座っていると
足が痛くなるので、
勉強部屋でも少し
やっています。

ちょっと気分転換。

大学の時、
某パン工場で
働いたことがありました。

いわゆる短期バイトってもので、
1週間毎晩真夜中働いて
8万円ぐらいもらえるものです。

卒業間近に
贅沢の限りを尽くしていたら
資金がショートしてきたため
やむなくしてやったバイトでした。

夕方5時から翌朝7時まで
ひたすらベルトでの
単純作業です。

ちょうどその時は
ひな祭りの前だっため、
桜餅を作る作業でした。

ラインには6~7人いて、
ある人は葉っぱを引く作業。
ある人はあんこを詰める作業。
ある人は箱に詰める作業。
同じ作業をずうっと続けます。

みんな同じ白衣を着て、
同じマスクをして、
同じ帽子をかぶっています。
私語は一切禁止です。

夕暮れに
工場に到着すると
小汚いロッカー部屋で
白衣をまとい、
ただ黙々と作業をします。

翌朝作業が終わると
疲れ果てて
家に帰り、
起きるとすぐに
工場に向かいます。

静かな静かな一週間。

たった1週間のことですが、
私は今でも
その時のことをよく
思い出します。

そんな作業は
もちろん
私である必要はありません。
誰でも出来る作業です。

少し慣れれば
ただ我慢すれば
ただ同じ作業をすれば
お金は入ってきます。

「こんなことは
もう2度としたくないな」。
まだ寒さが残る
春先の駅のホームで
私はそう思いました。

就職してから、
6年が過ぎた頃、
ふと自分が
そのバイトをしていたときと
同じ状況にいることに
気がつきました。

ラインで
桜餅を作るのと同じ。
別に誰でも出来るのです。
そんな仕事。

隣にいる人と
その隣にいる人と
自分は何にも変わりません。

大きなシステムの中では
1人の労働力であり、
人的リソースに過ぎません。

その状況を受容することも
もちろん可能です。

だけど私はそれが出来ませんでした。
というかしたくありませんでした。

1週間じゃなくて
一生の問題です。

妥協すれば努力はいりません。
その代わりに自分も成長しません。

ただ我慢する暮らしなら
刑務所に入っているのと同じです。

自分に同情し続けて
年を重ねるなんて
あまりにも
くだらないと思いませんか?

■2003/11/10 (月) まわりみち

寒いです。
もう冬です。
我が家にはこたつが
登場しました。
あすは鍋かな?

ところで、
このページ見てくださっている方って
私より若い方が多いんでしょうか?

大学生の時というのは
1年ってすごく長く感じて、
司法試験を目指している方も
卒業までに受からなかったら
司法試験あきらめようと
思っている方も多いかもしれません。

だけど、
社会に出ればわかるけど、
1年なんてあっという間です。

目の前にある仕事をせっせと
片づけていくと
いつの間にか1年が過ぎ去っています。

私自身も大学時代の1年の方が
社会人になってからの
1年よりも数倍長かったように
感じています。

くたくたになって仕事をしているうちに
月日はどんどん流れていきます。
20代なんてあっという間です。
気づくと40になっていそうな
怖い感じもありました。

私は大学を4年で
卒業してしまったのですが、
社会に出た直後から
いろいろと後悔する面もありました。

仕事は始まってしまうと
やるしかありません。
いろいろ文句を言っても
やるしかありません。
給料をもらっている以上
当然のことです。

そして気づくと
会社の評価にしがみつき、
それなりの世間体を
手に入れたことに
満足するようになります。

一方で、
会社にしばられ、
家族にしばられ、
世間体にしばられ、
やりたいこともできずに
確実に年老いていきます。

たとえ仕事がやりたくないことでも
それなりに人生が過ぎていきます。
とっても安易な方法です。
だけど一方でいろんな不満がたまるでしょう。

「こんな仕事本当はやりたくない。」
「本当はOOになりたかった。」

でも年を重ねれば重ねるほど
いろんなものにしばられます。
いろんなものを背負います。
そして動けなくなります。
これまでと同じように
単調な日々を送る
忍耐力と持久力だけが
要求されるようになります。

だから
大学生の人とかは
無理に期限を決めずに
やりたいことやればいいのに
と思うのだが。

世間体のために行きたくない会社に行っても
仕方ありません。
自分のための人生じゃないのか?

私のように行きたい会社に行っても
会社と自分の価値観のずれから来る
不満は必ずいつか噴き出します。

自分をごまかし続けるのに
一生を使うのは
もったいないのでは?

■2003/11/09 (日) 不満

きょうは
とっても寒いです。
なんだか外は雨降っていて
暗い静かな日曜日です。
いわゆる「勉強日和」。

今から7年前、
社会に出て
私がとても驚いたのは
周りの人たちが
たくさんの抱えきれないほどの
「不満」を持っていたこと。

それは
現在の担当業務だったり、
勤務地だったり、
ポストだったり、
家庭環境だったり、
いろいろなんだけど、
ほとんど全ての人が
各種、各サイズの
不満を抱えていて、
すごく驚いた。

いわゆる
「社会に出ること」というのは
こういう不満を当然のものとして
受容することなのかもしれません。

それを拒絶することは
いわゆる「甘ちゃん」なのかも
しれません。

だけど、
本当にそれでいいんでしょうか?

いろんな不満を抱えながら
わずかな給料のために
毎日を耐えていく暮らしが
本当に
「社会に出ること」なんでしょうか?

人生は我慢大会ではありません。
そんな大会に勝ち抜いても
なんも嬉しくありません。
もちろんメダルももらえません。

人は不満を抱えると
無駄なエネルギーを
使い始めます。

ベクトルが
自分自身でなく周りの人に向き、
ふられれば相手が悪い、
出世出来なきゃ会社が悪い、
試験に受からなきゃ講師が悪い、
と短絡的に責任を転嫁していきます。

そんなんじゃ
何にも自分は成長しません。

私は7年間の社会人生活で
その点がすごく
嫌でした。

自分が
周りの人と
同じように不満を抱え、
そして
年を重ねていくのが
嫌でした。

暮らしの全てを
仕事に捧げ、
今を楽しむ術を
知らない大人になるのが
すごく
嫌でした。

自分の抱えている不満を解消しようと
金や権力に盲目な人が
身につける表情や動作を
無意識にでも身につけてしまうことが
すごく嫌でした。

そうやって
知らず知らずのうちに
自分も不満を抱えていました。

それに気づいたのが
1年ぐらい前。

気づかずにいたらと
思うとすこし怖いです。

無駄な我慢大会のための
貴重な一生費やしたくないんだよ。

周りに不満をためる前に
たとえリスクをおかしてでも
自分で出来ることを
やった方が
全然いいんじゃないと
思います。

社会や会社なんて
嘆いても叫んでも
なにも変わらんし。

そんなことに
無駄な時間を費やしたくないですね。

■2003/11/08 (土) 選挙

あすは衆院選ですね。

私はもともと
政治や政治家になんて
興味がありません。

妙に政治意識の
お高い方が
「投票に行きましょう」と
偉そうに語るのも
嫌いです。

別に自分が勝手に
投票行けばいいだろうと思う。

なぜああいう人種は
ぶちぶち言うんでしょう?
うるさいんだよな。

国のことより
自分のことに興味持てと。

「選挙で国が変わるかも」と
自分の投票と国の政治の
かすかな因果の流れを
求めるほど
みんながみんな
お人好しじゃない。

マニフェストも
勝手にポストに
投げ込まれていて、
ゴミが増えるだけ。
ピザ屋のチラシや不動産広告と一緒。
関心なければただの紙くず。

そもそも
自分を取り巻く環境なんて
自分じゃどうにもならないことばかり。

勉強する環境だってそう。
大学の授業があったり、
仕事があったり、
家庭があったり。

そんな環境は人それぞれだけど、
そういうの全部抜きにして
試験で結果を出せば合格者、
出さねば不合格者。
ただそれだけ。

それを
大学の授業や仕事や家庭を
不合格のせいにしたり、
逆に
「仕事と両立して合格」とか
「家庭を持ちながら合格」とか
特別視するのも
ばかばかしいと思います。

だって結果が全てだろ?
試験って。
いろんな言い訳は
人をダメにする。

「お金がないからローに行けない」って
よく言われる意見だけど、
本当にローに行きたいんだったら
稼ぐ努力してみりゃいい。

それを
自分の親が出してくれないとか
金持ちはいいなあとかって
言ってもしょうがない。

努力もしないで、
国が悪いとか
大学が悪いとか
制度が悪いとか
ぶちぶち文句言っても
無駄なこと。

全部人のせいにしても
なーんにも変わりません。


2003年11月の日記
■2003/11/07 (金) 大学時代

司法試験の勉強している人って
いろんな人がいますよね。

択一の合格者でも
上は60代の人もいる。

私は29歳になってから
勉強を始めました。

以前にも書きましたが、
大学時代は法学部で、
周りは1年の時から
LECに通う人が
(当時は伊藤塾なかった)
テニスサークルに入る人と
同じくらい多かったのですが、
全然興味がなかったです。

一つは母の話がありました。
母は若い時に
某W大学の図書館で
働いていたことがあるそうです。

開館から閉館まで
くらーい顔をして
司法試験の勉強をする人を
数多く見たらしく、
「司法試験だけはやめてね」と
大学入学前から
うるさく言っていました。

もともと
マスコミしか興味がなく、
法学部なんて
学歴ブランドで選んだ私には
そんな忠告は意味なかったのですが。

そんなわけで
大学時代は全く勉強しませんでした。
3年からキャンパスが移ってからも
片手で足りるぐらいしか
授業に出ていません。

私が出た大学の図書館も
1階から3階まで
いろんな勉強をしている人で
埋め尽くされていました。

入り口からまっすぐのびる
確か赤色の絨毯がひかれた
仰々しい階段が苦手で、
私は
入り口の前の階段に腰掛けるのが
精一杯でした。

当時は
バブルの残り香があったころで、
お金をかけることが良いことだという
風潮が残っていましたね。

私もカテキョーや塾講などで
せっせとかせぎつつ、
空いた日は必ず
友達と遊んでいました。

この時期になると
雑誌の話題は全てクリスマス。
どんなおいしいレストランで食事をし、
どんな立派なホテルに泊まるかを
競う時代でした。
たとえ無理をしてでも
贅沢をするのが
立派だとされる時代でした。
みんながのせられていた時代でした。
私ものせられていました。

まあそんないい加減な大学時代でしたが、
私は周りが遊んでいるときに
勉強することが出来るほど
立派な人間ではなかったので、
そのまんま4年で卒業。

それで今勉強したくなって
している。

まあ客観的には
「10年遅い!」って感じで
あんまし順調じゃないかもしれない。

でも自分が充実していると思えば
たとえ勘違いでもそれでいいんだよ。

と言い聞かせて頑張りましょう。

■2003/11/06 (木) 息抜き?

初めの方にも書きましたが、
私は今年の2月から
司法試験の勉強を始めました。

初めは
「試験まで長いなあ」と
感じていたのですが、
最近は
「もっと時間欲しい」って
心の底からそう思います。

基本的に
朝から晩まで勉強しているので、
「たまには息抜きしたら」と
友人や家族から
よく言われます。

そういう言葉に乗ってしまうのは
簡単なのですが、
変に勉強をしないと
余計にストレスがたまりませんか?

遊んでいるときも
無理に勉強のことを考えないように
しないといけないし、
ちょっと思い出すと
「あ、こんなことやっていていいのかな」
と思ったり。

まあそういうのは
人によって違うのかもしれないけど、
私は勉強しない方が
圧倒的に
ストレスがたまるタイプです。

勉強しないと
いろいろ考えるんですよ。

というわけで
私は基本的に自分が休みたいと
思った日だけ休むようにしています。

みなさんもあるでしょ?
頭が痛くなって
「もう勉強いいや!」という日。

そんな日に気まぐれに休むため
なかなか予定がたちません。

今の感じだと
だいたい月に2回ぐらいは
そんな感じになります。

これも微妙なバランスで
回数を減らすことも増やすことも
今の私はできません。

まあある意味
勉強しいてることって
工夫をすればそれなりに
快適になるから、
そっちを
楽しみたい時期なのかも
しれません。

そんなのは
その時の気分で
やった方がいいわけで。

無理に人に合わせて
息抜きなんてなかなか
出来ません。

29歳にもなると
大学の頃からの友人は
仕事が忙しかったり、
結婚したり、
出産したりと様々で
なかなか
お互いの都合もつかないものだし。

でもさすがに
会社辞めて司法試験の勉強始めるって人は
なかなか友人ではいないです。

この前も
大学の時からの友人に
「逆行していて、なかなか
笑わせるよね。」と言われました。

さすがに私は
笑ってばかりもいられないので、
まあゆっくりやります。

この日記も
だいたい勉強が一段落したときに
10分ほどで書き上げるので
良い息抜きになっています。

思ったことをそのまま
スピーディーに書いてしまうという
感じで。

いろんな意味で
受験生って
自分の管理が大事だ。

■2003/11/05 (水) やれるものなら

きょうは水曜。
択一と論文刑法の日ですが、
ちょっと一段落。

やっぱり民法に比べると
量的にはだいぶん楽。
択一もパズルばかりだし。
昔の牧歌的な問題は
なんだかいいですね。
「これでいいのかな」という感じで。

ところで、
この試験って
やれるなら集中してやった方が
良いんだろうな。

ちょっと暇だからって
自己啓発的にやっても
結果は出ないだろう。

そもそも結果の出ない
自己啓発は
何の意味もない。
別に司法試験じゃなくたって
他に楽しいことなんて
たくさんある。

そういう人たちは
いつまでやるんだろうか。

集中して勉強せずに
勉強できないことを
仕事などのせいにして
何を正当化するんだろう?

結果の残せない自分?
職にしがみつく自分?

ちょっとやれば
「来年は無理でも
再来年には」
なんて
幻想にしか聞こえない。

というかそれでは
周りの受験生をなめすぎだろ。

学歴や職歴にこだわるんなら
勉強なんて始めなきゃ良い。
変な挫折感味わうことなく
今のままで
少しの幸せ楽しんだ方が
よっぽどいい。

以前にも書いたが、
社会人になってから
学歴にこだわる人は
本当になんだかなーって
感じです。

そんな人に限って
「司法試験に受かれば
 異性にもてる」などと
勘違いしてそうな。

そんなのでもてて嬉しいか?
そんなのでよってくる人って
浅はかだと思いませんか?
それで喜ぶ自分って
もっとダメダメだと思いませんか?

人を
資格や学歴や経歴でしか
見れない人は
ほんとに不幸だ。

■2003/11/04 (火) 空間

相変わらず火曜日は
択一と論文民法。
夜が明ける前からやっているのに
もうこんな時間。
なかなか大変ですね。

きょうはちょっと
話題を変えて音楽の話。

初めの頃に書いたけど、
私は勉強中音楽を聴いています。
変なストレスためながら
やりたくないので。

最近買ったので
お気に入りは
SHERYL CROWのベスト。

不思議と
SHERYL CROWって秋が合う感じで、
最近は天気が良いことも多く、
本当に快適に勉強しています。

あとは
WOMAN5。
女性ヴォーカルのコンピだけど、
まあそれなりの感じです。

自習室で勉強する人が多いが、
私はとてもダメだ。

自分一人では勉強集中できない
意志の弱い人が集まって
なんか空間全体に
ストレスがあふれているような感じで。
息がつまってしまいます。
とってもくつろげない空間。


自習室とか大学の図書館って
壊れかけの人多いけど、
まあああいうところで
10時間以上勉強したら
壊れるさ。

大学生ぐらいの人だと
わからないかもしれないけど、
20代も後半になると
自分の
「許せる範囲」と
「許せない範囲」が
はっきりしてきます。

人付き合いはもちろんですが
それはどんな細かいことでも
出てきます。

「許せない範囲」に
入ることはしたくありません。

よくそういうのを
「自分の殻を破れ」などという
わけのわからないことを言って
壊そうとする人がいます。
自分なりの美学を失った
中年男がよくすることです。
自分と同じように
だらしないなんの魅力もない
人間を作り出そうというのでしょう。

でも、
「自分の殻」は
絶対に大事にすべきです。

それまで自分なりに
20数年生きてきて
築きあげたものは
自分にとって
ある意味「心地よいもの」のはずです。
それを無理に壊して何がいいのでしょう?

結局
常識や会社の論理にとらわれる
小さな人になるだけだろうと。

企業や社会からすれば
もちろんそういう人の方が
扱いやすいのだろう。
変にその人なりの
価値観なんてない方が
良いに決まっている。

でも
そんなものに
従っちゃダメだ。
無意識にでも
とらわれちゃダメだ。

安っぽい
常識や会社の論理を
当たり前のように
振りかざす姿って
好きですか?
自分でやっていて
楽しいですか?

私はとっても悲しく感じます。

■2003/11/03 (月) 三連休

今年の秋は
やたらと3連休多い感じがする。
気のせいか。

祝日も月曜日なので
普通に
択一と論文は憲法をやっていました。

あんまり暑苦しく考えないで、
必要なことを淡々と
やるのが一番じゃないかなと
思っています。

「勉強やらなきゃ」と
ずっと思って、
追いつめて追いつめて
日々生活しても
楽しくないからな。

かといって
必要な量もやらずに
「1年合格」なんて
あり得ませんから、
万全の対策はとるつもりです。
でもそれは
別に自分を追いつめるのと
関係ない。

勉強を嫌だと思うから
勉強時間に
こだわったりするのだろう

淡々とやればいい。
別に自分がやることに
感情入れなくても。


机の前に「絶対合格」とか書いた紙とか
1日のノルマとかを
張り紙してやるのも
どうも好きじゃありません。

好きじゃないことすると
無駄なストレスがたまる。

無駄なストレスと
ともに生きていくことほど
ばからしいことはない。

今週も淡々とやるだけです。

■2003/11/02 (日) とらわれないこと

受験勉強をしていると
とかく視野が狭くなりがちです。

講師の指導にとらわれ、
合格者の言っていることにとらわれ、
他の受験生がしていることにとらわれ、
そして予備校の宣伝にとらわれます。

「毎日10時間以上勉強すべき」
「テレビなんか余計な刺激をいれるべきでない」
「友達付き合いもそこそこに」
などということが
あたかも当たり前のように言われ、
勉強以外のことが悪扱いですから
それも仕方ないのかもしれません。

「この先1年勉強しなきゃいけないことを
 考えれば、今は犠牲にしても良い」。
よく言われることばです。

でも、
本当にこの言葉って正しいのでしょうか?

受かりさえすれば、
確かに翌年は
「受験のための」勉強は
しなくても良いかもしれません。

でも確実に「犠牲」にされた時間は過ぎ去ります。
20代でも30代でも
「貴重な」1年はもう戻りません。

勉強のためだけに時間を過ごすのは
とっても簡単です。
そこには煩わしい人間関係がありません。
他のことを一切切り捨てて、
ただただ自分のためだけに
時間が過ごせます。
「受験だから」の一言で
全てを
片づけ、
あきらめ、
放り投げるのは
とっても
安易な方法です。

もちろん受験界の論理からすれば
それは「正しいこと」に違いありません。

朝起きてから寝るまで、
食事をしてるときも
入浴しているときも
トイレに入っているときも
全て勉強時間に当てるのが
理想の受験生像なのでしょう。
特に司法試験では
その傾向が強く残っています。

でもそれが本当に幸せな姿なのでしょうか?

人生は受験では終わりません。

得意げに合格法を語る人だって
修習所に行けば教わる側。
社会に出れば1年生。
周りからちやほやされるのも
そんなに長くはないでしょう。
社会はそんなに甘くありません。

もしずっとちやほやされたいなら
某S講師のように
受験界にとどまるしかありません。

もちろん受かった人は
こういうでしょう
「そんなのわかっているよ」。

でも受験生をしていると
そんな当たり前のことが
見えなくなってきます。

何か受かった後には
素晴らしい世界が広がっているような
そんな幻想を抱きながら
今を犠牲にして
何が楽しいのでしょう?

いろんな意味で
ゆがんでいると思う。

■2003/11/01 (土) 無理

ちょっときのうの続きです。

で、精神論を振りかざす人は
それが「正しいこと」であると思っているため、
ことさら声高に精神論を振りかざします。

それが合格者だからという
理由で正当化されてしまいます。

一方で精神論を重要と思っていない人は
精神論についてはふれません。
というか積極的に否定しません。
なぜならそんなこと意識していないから。

その結果
精神論が幅を利かせます。
合格者が言っているから
自分もやらなきゃと思う人だけでなく、
周りの受験生も
それが当たり前のように思います。
そして同調圧力が働く結果、
何にも考えずに
それが当たり前のこととして
受け入れられます。

「受験だから仕方ない」。
この一言で
自分の暮らしや心の
リズムが乱れます。

自分に合わないことを
やっているので、
そのうち無理がたたり、
勉強したくなくなります。

結果が伴わず、
ますます自分を追いつめます。

精神論が語るところの
理想の勉強マシーンと
現実の自分とのギャップに
さいなまされ、
悩み続けます。

精神論なんて
もし普通にそれが実現できるなら
必要ないものです。

自分が出来ないことを
掲げるからこそ意味を持つのです。

普通の人が出来ないことを
私はやったぞということを
ことさら強調したい人がいるから
声高に叫ばれるのです。

でもね、
そんなに自分を追いつめなくても
いいんじゃないか?

たかだか
受験のために
自分がこれまで
気づきあげた
生き方や暮らしを
無理に変える必要ないのではないか?

たとえ合格者が
「テレビは一切見ずに
一日15時間勉強したっ」て
自慢げに言っても、
受験生は「すごい」って
感動してあがめてくれるかもしれないけど、
他の人にとっては
つまんない人生かもしれない。

大学や職場や家庭や
みんなそれぞれの
世界があるんだから、
受験界という狭い価値観で
自分の暮らし全てを
支配したくはない。

受かりさえすれば良いからって
自分がやりたくないことを
無理に自分に課すことや
それが出来ないからって
自分をダメだと思うことは
ほんと無意味なことだと思います。

嫌ならやらなきゃいい。
周りがどうとかって関係ない。

自分が楽しめないやり方で
得られたものって
ほんとに
その人を幸せにするのか?
そう錯覚させるだけか?

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